商品説明
日本文学
この小説は、著者の母が参加していた読書会をの風景がきっかけで生まれました。それはどんな読書会だったのか。執筆に際しての著者エッセイから一節をご紹介します。 わたしは、この「ちいさな集まり」の一員になったときの母が、もともとの母であるような気がした。 母親とか、五女とか、ドコソコの奥さんとかの役割をとっぱらった母というひとが出現したようだった。 へんてこな言い方かもしれないが、そこでの母はたいそうフレッシュな老人だった。いきいきと目を輝かせ、みずみずしく笑っていた。 これから始める小説で、わたしがまず書きたいのは、「ちいさな集まり」だ。そこでフレッシュな老人たちと少し疲れた若者が顔を合わせる。やがてどちらも「もともとのすがた」で語り合うようになるはずだ。本を読み、人生を語る。人が生のままの姿になり言葉が溢れだす。そんな幸福な時間をぎゅっと閉じ込めたい、という願いが込められた物語です。<あらすじ>小樽の古民家カフェ「喫茶シトロン」には今日も老人たちが集まる。月に一度の読書会<坂の途中で本を読む会>は今年で20年目を迎える。店長の安田松生は、28歳。小説の新人賞を受賞し、本を一冊出したが、それ以降は小説を書けないでいる。昨年叔母の美智留から店の運営を引き継いだばかりだ。その「引き継ぎ」の一つに<坂の途中で本を読む会>のお世話も含まれる。何しろこの会は最年長92歳、最年少78歳の超高齢読書サークル。それぞれに人の話を聞かないから予定は決まらないし、連絡は一度だけで伝わることもない。持病の一つや二つは当たり前で、毎月集まれていることが奇跡的でもある。安田は店長の責務として世話係だけをするつもりだったが、「小説家」であることを見込まれて、この会の一員となる。安田は読書会に対しても斜に構えていた。二作目が書けない鬱屈がそうさせていたのかもしれない。しかし、読書会に参加し、自分でも老人たちと「語る」ことで心境に変化が訪れる--。