商品説明
スポーツ・体育
【内容紹介】
最盛期には120社以上と称される日本のオートバイメーカーは、技術的にも経営的にも、文字通り“食うか食われるか?”の格闘を演じ、やがてホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキの4社が中心となり、世界を制覇するまでに成長することになる。
まさに源平時代や織田・徳川の戦国時代などに比べても決して見劣りのしない、この“興亡ドラマ”の足跡を、長きにわたりオートバイの研究・調査に携わった著者がわかりやすく紹介する。
2001年刊行の同書に、当時の製品カタログなどを使用したカラー口絵(24頁)を収録した増補三訂版。
【目次】
第1章 オートバイ技術の内容
1.オートバイと日本/2.オートバイと飛行機/3.もたついた飛行機の発進/4.ライト兄弟の飛行成功/5.第一次世界大戦とガソリン・エンジン/6.ガソリン・エンジン改善の主役/7.先端技術とその転用
第2章 後進・日本のオートバイ産業
1.明治維新後もオートバイは全くの後手/2.オートバイ出現当時の日本の状況
第3章 ガソリン・エンジンの誕生
1.始祖ダイムラーとその業績/2.デー式2サイクルの誕生
第4章 黎明期の日本のオートバイ界
1.日露戦争後に初見参/2.乗りこなすことの大先覚/3.明治末から大正末期の日本のオートバイ事情/4.輸入オートバイの概観とその技術/5.輸入オートバイの操作の仕掛けおよび車体/6.輸入依存から国産化へ・大先覚島津楢蔵氏の足跡/7.世界情勢の不安と国産化の推進/8.戦前の専門工場 陸王、メグロ等
第5章 敗戦とそのあとに来たもの
1.敗戦時の衝撃は深刻/2.敗戦ボケから立ち上がるきっかけ/3.オートバイ工業の復活/4.発足はしたがまことに多難/5.昭和20年代後半の大活況/6. 昭和20年代後半の機種大観/7.さまざまな変わり種
第6章 日本のスクーター工業の盛衰
1.戦後のニューフェイス-スクーター/2.富士重工業の「ラビット」号/3.三菱と「シルバー・ピジョン」/4.「ゲール・ペット」の丸正/5.ポップスクーターの平野製作所/6.三光工業のジェット号スクーター/7.ホンダの異色のスクーター/8.ヤマハもスクーター生産に参加/8.日本のスクーター工業史総括
第7章 オートバイ大流行の先駆・バイクモーター
1.バイクモーターの大流行とその背景/2.バイクモーターの技術的詳細/3.バイクモーターの活況、熾烈な商戦/4.バイクモーター衰退の理由/5.バイクモーターからモペットへ/6.本格的オートバイの発展
第8章 本格的オートバイ時代到来
1.本格的オートバイの戦後史/2.模索時代の傾向/3.重量感重視時代のオートバイの性能/4.戦国大名のような顔ぶれ/5.草レースから本格的レースへ
第9章 戦後派の大進出と制覇
1.戦前派の戦後における活動と凋落/2.戦後派の大進出/3.本田技研工業の発展史/4.トーハツの進出/5.中京地方の雄、トヨモータース工業/6.新明和興業(ポインター)/7.昌和製作所
第10章 優勝劣敗強まる
1.世界制覇の担い手たち/2.本格的なオートバイレースの開始/3.ホンダの大躍進とその影響/4.一葉落ちて天下の秋/5.没落の後日物語
第11章 日本のオートバイの世界制覇
1.制覇は全くの予想外/2.大躍進のきっかけ/3.世界制覇の要因/4.オートバイ技術の展望
第12章 オートバイの技術的概観
1.オートバイの技術的経過/2.戦前品および戦後直後品の性能/3.性能向上の手口/4.オートバイの性能試験装置の進歩/5.補遺
日本の二輪車メーカー一覧表
【著者略歴】
明治26年(1893年)千葉県生まれ。
大正6年(1917年)東京帝国大学工学部機械科卒業。
大正7年(1918年)東京帝国大学助教授航空研究所所員となり、その後教授。
大正7年12月以後、研究所所有の各種オートバイに乗ることになる。
当時、航空用発動機の研究が主務であったが、これらのオートバイを通じて、これに興味を持ち、特に2サイクルのクリーヴランドを扱ったのを契機として2サイクル方式の研究に興味を持ち研究を開始、特に2サイクルの掃気作用の研究は独特のものでこの仕事が一生の仕事となる。
昭和30年頃より、「モーターファン」(三栄書房)主催の新型オートバイ試乗批判会に、テスト・ライダーとして参加することになり、約10年この仕事を続ける。
試乗台数約100台におよぶ。
テストの初期には、測定用機器乏しく勘に頼ることが多かったが、後に速度性能測定装置と、ハンドル安定性測定装置との2種を開発、以後はその実測値に基づいて、的確な判定が得られるようになる。
(昭和63年3月9日永眠、享年94歳)